京都の京セラ美術館で開催されているポンペイ展に行ってきました。
ポンペイはローマ帝国の都市で繁栄していましたが、紀元後79年にヴェスヴィオ火山の噴火により、一瞬にして火山灰に埋まってしまいました。
1700年代から発掘が始まり、当時の様子が再現されており、また出土品はナポリ考古学博物館に展示されています。
今回の展覧会はナポリ考古学博物館の展示品が中心です。
私自身、ポンペイ遺跡は20年ほど前にローマ・ナポリ観光に行ったときに訪れましたが、非常に印象深かったのでこの展覧会も是非行きたいと思っていました。
昼前に京都駅に着き、まずは有名な「はしたて」さんで昼食です。
11時開店と同時に行ったのですが、既に10人ほど待っていました。
その後地下鉄で東山まで行き、そこから10分程度で京セラ美術館に到着です。
平日なのと、チケットも時間指定の予約制となっているためかそれ程混んでいませんでした。
展示は下記6つのコーナーに分かれていました。
2,ポンペイの街ー公共建築と宗教
3,ポンペイの社会と人々の活躍
4,人々の暮らしー職と仕事
5,ポンペイ繁栄の歴史
6,発掘のいま、むかし
入るとまずは「女性犠牲者の石膏像」が目につきます。
ポンペイでは逃げる途中や避難中の人たちが、一瞬にして火山灰に埋まってしまいました。
発掘の時には火山灰の堆積物の中に、人の形がそのままに空洞が残っていて、そこに石膏を流し込んで作ったのがこういった石膏像です。
これは20年前に行ったポンペイ遺跡でもいつくか見ました。
社会や生活のコーナーでは様々な出土品が展示されていました。
日本ではまだ弥生時代だと思いますが、ローマ帝国の文明の発達具合が理解できます。
繁栄の歴史のパートでは裕福な家にあった絵画や彫刻が主に展示されていました。
絵画はフレスコ画とモザイク画がありましたが、どちらも2000年以上前のものとは思えないクオリティでした。
有名な「メメント・モリ」というテーブル天板も展示されていました。
「メメント・モリ」は「死を忘れるな」という意味で、富める者にも貧しき者にも死は訪れる、人間は微妙なバランスの上に生きているということを表しているようです。
このような死生観を持っていたポンペイの人たちが一瞬にして火山灰に埋まって亡くなってしまったというのは、何かやるせない気がしてきました。
彫刻もギリシャ文化の影響を受けた素晴らしいものでした。
どちらの発掘された邸宅にあったもので、邸宅は各々この彫刻の名前で呼ばれています。
素晴らしい展覧会で、わざわざ京都まで見に行って本当に良かったと思いました。
ナポリ考古学博物館は20年前のも訪れているのですが、展示品の数が膨大で説明も英語なので、どうしても印象が散漫になってしまっていました。
今回はテーマに沿って展示品も厳選してあるので、社会や当時の人々の暮らしなど、よく理解出来ました。
ただ、ポンペイ遺跡のスケールはやはり現地でないと理解できないので、是非また行ってみたいと思いました。